幸せになるために 101

DSC_0362.JPGニコンD3 校庭に咲く紫陽花・・・

 

寛くんが残したもの・・・

 

寛くんがこの世から去って

色々と考えた・・・

人はいつか必ず死ぬ・・・

一人の例外もなく死は必ず訪れる

 

そして、それがいつかは誰にもわからない・・・

今日かもしれないし

明日かもしれない

はたまた50年後かもしれない

 

望む望まないに関わらず訪れる死というものが

実感として僕の心に刻まれた・・・

僕もいずれ死ぬのだ・・・

今のまま死んだらどうだろう・・・

 

寛くんは精一杯生きたが

もっとやりたいことはあったろうし

行きたいところもあったはずだ

現に動けなくなるちょっと前に

スカイダイビングをしたい!と言っていた

 

僕は、自分の死が

今、宣言されたとして

後悔のない毎日を過ごしているだろうか・・・

 

とても、満足できるような人生ではない・・・

世間から見れば

奥さんと一緒に保育園を作り

順風満帆な人生に見えるのかもしれない・・・

でも、僕の心は満たされていなかった

 

まだ、僕はやれる!

まだ、100%ではない!

 

そう心が訴えているのだ・・・

僕の本心は何を欲しているのか?

僕が心から望むことは何なのだろう・・・

 

思考がグルグルと渦巻いていた・・・

いつも真由美ちゃんは

 

「信也さんは、何をやりたいの?

本当にやりたいことやればいいのに・・・」

 

と言う・・・

お義父さんも

 

「君は何をやりたいんだ・・・

山下信也としての生きた証として

一体何を残したいんだ・・・」

 

と言っていた・・・

 

そう・・・

僕は何をやりたいのかがわからないのだ・・・

人のためになることがしたい!

いつもそう思ってきた

 

自分が関わることで

その人の人生が変わるような

そんな仕事がしたいと思っていた

 

保育園は素晴らしい仕事だ

子どもたちは生きる力に溢れ

力いっぱい遊んでいる

この小さな世界で

大きな心の世界を広げていて

何でも出来るという無限のエネルギーを

持っているのだ

この現場に関われるというだけで

得るものは非常に大きかった

 

本当にこの仕事に関われて良かった!

と心から思っていたが

どこかで、これは自分が作ったものではない!

という感覚もあった

そして、事務長というポジションでは

どう頑張っても

その中心にはいけないのだ・・・

ということにも気づいていた

 

僕が中心の場所を作りたい!

心はそう思っていたが

真由美ちゃんも、優子先生も

優秀で素晴らしい人間なので

どこかで自分なんか・・・

と卑屈になっていたのだ

 

そんな折

こんな話が舞い込んできた

 

「近くの舟渡小学校の学童をやってもらえませんか?」

 

という話だ・・・

僕の心がザワッと動いた瞬間だった・・・

 

続く・・・

 

 

この記事を書いた人

shinyafd3s

現在、はぁもにぃ保育園で
広報を担当しています。
お休みの日を使って
カメラマン活動をしています

僕の使命は
その人の光っているところを
明確にしていくこと!

よろしくお願いいたします