幸せになるために

DSC_5226ニコンD5 タムロン28-75㎜F2.8 はぁもにぃ保育園近くの私道にて

ずっと探し続けてきた道

 

幸せになる為にどうすればいいのか?

そう思ってずっと過ごしてきた

中学生の頃はとにかく自分は不幸だと思い込んでいて

誰も自分のことなんか認めてくれない

必要としていない

そんな風に思っていた

中学校の先生は何にもわかってない

なんで人のことを否定しまくるのか

何故頑張ろうという気持ちを踏みにじるのか

そう思っていた

だから、僕は先生になりたいと思った

子どもたちに生きる勇気を

希望を与えられる先生になりたいと思っていた

 

高校に入っても楽にはならなかった

 

好きじゃない勉強をそこそこ頑張って

何とか地元の進学校に進学できたが

一向に自分の中のモヤモヤは晴れなかった

日々、つらい毎日

何の為に生きているのか

親から愛されているという実感が無く

愛情に飢えていた

人から必要とされたかった

あなたがいてくれるだけでいい

そう言われたかったんだと思う

高校の3年間はひたすら女の子を追いかけてた

高校2年の冬に一大決心をして

音大を受験することになった

勉強と名のつくものからとにかく逃げ出したかった

音楽なら少し楽が出来るかも・・・

現実は甘くなく

むしろしんどいことが増えた

女の子は追いかけつつ

音大受験を頑張った

受験の為に東京に向かう前日

祖父が亡くなった

お葬式の日に東京へ向かった

喪服を着た親戚一同に見送られながら・・・

 

そして、奇跡的に東京の音大に合格した

みんな喜んでくれたが

父親は冗談で

「おじいちゃんが見守ってくれてたんだな

でなきゃ、絶対に合格なんて出来なかっただろう」

と笑いながら言った

今では、ネタとして使う貴重な会話だが

多分僕は傷ついていたんだと思う

というか、これを書いていて傷ついていたんだということに

気付いた

多分、父親から

「本当に良く頑張ったな!お前は俺の誇りだ!」

そのぐらい言って欲しかったんだと思う

自分を認めて欲しかったんだと思う

そんな訳で晴れて大学生になった

東京に一人で出てきて

自由になれた!

そう思った

 

大学生になっても苦しみは続く

大学は楽しかった

音大はおぼっちゃん、おじょうちゃんばかりで

優雅なもんだと勝手に思っていたが

実際に入ってみたら

僕が入った器楽科は

滅茶苦茶体育会系だった

入学式早々に研究室に呼び出され

大声で自己紹介をさせられ

それが終わると一芸を披露しろ!と言われた

無茶苦茶やん

と思ったがそんなノリが好きだった

何とかかんとか大学1年が終わり

大学2年へ

何故かパートリーダーに選ばれ

研究室をまとめることに・・・

元々親からあーせいこーせい言われて育ってきたので

自分で考えて行動することが出来なかった

周りの同期に助けられ

何とか1年間やりきった

3年の夏、パートリーダーが引退する演奏会終了後

4年生から「お前なんか選ばなきゃ良かった!」

そう言われてものすごいショックを受けたが

自分でも何もしていない

出来ていないと思っていたので

「やっぱり、僕は価値のない人間なんだ」

そう思ってしまった

 

 

ちょっと長くなってしまったので明日に続く・・・

 

 

 

 

 

この記事を書いた人

shinyafd3s

愛妻家フォトカウンセラー
普段は学童の責任者として子どもたちの未来を作る仕事をしています。
週末はフォトカウンセラーとして活動しています。
奥さんが大好きで奥さんの写真多し!