キャノンS90 今は無き福島の実家付近にて・・・
会社への復帰をどうする?
真由美ちゃんの育休期間が終了し
職場に復帰しようとした時に
ななが入れる保育園はどこにも無かった
いわゆる待機児童というやつだ・・・
どうしようもなかった真由美ちゃんは
とりあえず半年間育休を延長した
入れる保育園が無いという理由で
半年間は猶予期間があるのだ
しかし、ななは8月生まれの為
1歳になった8月に入れるのは
0歳児クラスなのだ
今では考えられないが
この時はまだ状況によっては
夏ぐらいまで0歳児クラスに空きが
あることもあって
そこに一縷の望みを持っていたのだが
あいにく僕らの年には7月で定員いっぱいに
なってしまっていた
僕たちは埼京線沿線の認可保育園、認可外保育園
など様々な保育園を見て回り
どこもいっぱいの状況を見て
途方に暮れていた
いよいよ持って延長の期限が切れる前に
埼玉の戸田市にある無認可の保育園に預かって
もらうことに決めた
朝、車で送って行き、ななを預ける
そして、夕方また車で迎えに行く
ななは預けるときにギャン泣きし
迎えに行くと檻の中でギャン泣きしていた・・・
ずっとこれでいいのか?
と思っていた
その無認可の保育園は先生たちはいい人たちだったが
いつも人が少なく常に大変そうだった
お迎えの時間はさらに職員が少なく
職員が掃除機をかけている傍ら
勝手にどこかにいかないよう
小さな檻の中に子どもたちを押しこめ
遊ばせているおもちゃは
○ックの○ッピーセットだったりした・・・
絶対にこれは良くないのでは・・・と思っていた
しかも、ななはよく熱を出して園から連絡が来ていた
真由美ちゃんはもうバリバリと働いていたので
帰って来れない・・・
必然的に僕が社長であるお義父さんに状況を話し
会社を抜けて迎えに行く・・・
そのまま見てくれる人もいないので
そのまま家に帰り、ななと二人で過ごすことが多かった
ただ、僕的には厳しいお義父さんと仕事をしているより
ななと家にいたほうがはるかに楽で気楽だった
また、いつもの僕のパターン
「困難から逃げる」パターンが出てきた
会社を辞め、専業主夫になる!という気持ちだ
真由美ちゃんに話をすると
彼女は元々仕事優先の人だったので
「うん、まあ私が頑張って稼げばいいかな」
なんて感じだったので
トントン話で事が進み
「じゃあ、お義父さんに話してみよう!」
ということになった
もう、当初ここに来た目的も忘れてしまっていたのだ・・・
僕は恥ずかしげもなくお義父さんにこう言ったのだ
「お義父さん、ななをこれ以上認可外の保育園に
預けるのは厳しいです。今、認可保育園の申し込みは
していますが、入れる見込みはありません。
今の状況が続くのなら、僕が家庭でななを見たほうが
いいと思うんです。真由美ちゃんは働きたいって言っているし
僕も彼女の仕事を応援したいんです。
だから、僕が専業主夫になります!」
と・・・
お義父さんはそれを聞いて
「君はバカか!
何故、その状況を甘んじて受け入れるんだ!
何故、この状況を活かそうとしないんだ!
うちは何屋なんだ?
何故、資源を有効に使おうと思わないんだ!
入る保育園が無いのなら作ればいいじゃないか!」
「・・・・」
「君たちはここら辺の保育園を色々と見てきたんだろう?
どうだった?自分の子どもを本当に預けたい保育園は
あったのか?自分たちが引っ越してでも入りたい保育園は
あったのか?
ないんだろう?
ないなら、自分たちで作ったらいい!
本当に自分の子どもを心から預けたいと思うような
保育園を作ったらいいんんだよ!」
「いやいやいやいや・・・
お義父さん、そりゃ無理ですよ
保育園を作るって・・・
どこに作るんです?
お金は?
誰が作るんですか?僕にはとてもそんなことは
無理ですよ!」
「何も、君一人で作れと言っているわけじゃない!
真由美と一緒に作ればいいじゃないか!」
「いやいやいやいやパパ!
それはないから!
私は会社に復帰するために
保育園に預けたいのに
その保育園作ってどうするのよ!
私の今の会社で研修講師になるって
いう夢は諦めろっていうの?」
「そんなことは言ってない!
研修講師になりたいならなったらいい!
今の会社の営業のままでいて
そのまま研修講師になったとして
お前は何を人に伝えるんだ?
研修に来る人たちは経営者じゃないのか?
そんな、営業で成績が良かっただけの社員上がりで
経営の何たるかを理論だけで分かったような
講釈をたれるような、そんな甘っちょろい講師を
目指しているのか?
違うだろう?
本当に経営をして
経営の何たるかを実践しているからこそ
語る言葉に重みがあるんじゃないのか?
その方が説得力があるだろう?
もし、おまえが経営者としてそれなりの人物と
成り得たのだったら
向こうから研修講師の
オファーが来るんじゃないのか?」
「・・・・・」
何も言えなかった・・・
しかし、この時の僕たちは
保育園を作るなんて話は
夢また夢どころか
いやいや作るって無いでしょ!
という考えしかなかったのだ・・・
続く・・・